田園環境図書館
水土を拓いた人々 (社)農業土木協会
農文協(1999年8月)
( 5,200円)
農村部を歩いていると、「OOO右衛門堰」などという、人の名をつけた水路などに、よくいきあたる。
それらの子孫にとっては大変名誉なことなのだろうが、実態は、それこそ私財をなげうち、一族の方々に、大変な財政的な負担をしい、作られたものが多いと聞く。

私の郷里に、鳥海山という名山がある。この山の雪解け水が、春の田植えの水となるのだが、なにぶんにも、摂氏10度前後の温度とあって、農業用水には向かなかった。

この水をなんとか暖かくする方法は無いかと考えたのが、佐々木順次郎という人である。

彼は、そこで、水路の幅を広くとり、水深を浅く、流れを緩やかにし、多くの落差工をもうけ、水を揉むようにすることにより、水温を上昇させようと考えた。
この温水灌漑の発想は、その後も受け継がれ、規模も拡大され、今も、秋田県由利郡象潟町上郷に機能している。

この本には、その様な先人が苦労して水利などに貢献された、全国の76例が、あげられている。
因みに、この本の題である「水土」という言葉は耳慣れないが、本書によれば、もともと、この言葉は「風土」と同じ意味につかわれてきたのが、「風土」が和辻哲郎の著によって有名になり過ぎたために、「水土」という言葉が、すたれてしまったのだという。
これに光を加え、「風光水土」という言葉があれば、農をとりまく森羅万象を現すことができるのだが。

この書の中で興味深いのは、幕末から明治初期に掛けて農業土木で活躍した4人の「お雇い外国人」の業績である。

安積疎水を設計したファン・ドールン、淀川などの改修、大阪港などの築港、そして砂防の企画設計にあたったデ・レーケ、児島湾干拓計画などにあたったムルデル、兵庫の淡河川疎水の御坂サイホンを造ったパーマー、の四人である。

このうち、前の三人はオランダ人、後の一人のみイギリス人であり、オランダ出身の三人のうち、二人はデルフト工科大学の前身の学校の出である。

戦後、八郎潟干拓の技術指導をしたヤンセンさんも、この大学の教授であったことを考えると、農業土木における日蘭の縁の深さを、改めて感じさせられる。

逆に、日本から海外に技術指導にゆき、いまもって崇められている方々もいる。

この書には触れていないが、札幌農学校一期生の岡崎文吉さんは、自然の力にさからわない自然主義の治水工法をあみだし、そのなかでも、「岡崎式護岸用単床ブロック」は、フランスのドコービル式、アメリカのミソリィ式に並ぶ世界三大単床のひとつといわれ、60X15cmのコンクリート・ブロックを鉄線で結束した、法面を成すもので、ミシシッピー川で採用され今でも使われているという。

また、同じ札幌農学校二期生で、ビーボディ教授に土木工学を学んだ広井勇さんは、「斜塊式」という、斜めにブロックを積むことで、ブロックの重量を分散したケーソン工法や、「振り子式波浪発電」という、波力発電の原形ともいうべき技術を開発し、後にアメリカのギャスコナード川で橋梁の設計にあたった。

また、杉山龍丸さんは、作家夢野久作さんの長男だが、その残された3、000坪以上の土地を売り払い、インドでの植林に資金をつぎこみ、「インド・パンジャブの緑化の父」「グリーン・ファザー」「緑のガンジー」などと慕われた。

いまや、農業土木受難の時代を迎え、これらの話を聞いても隔世の感にはあるが、あらためて、これらの先人の苦闘とロマンに学び、環境と調和した新時代の農業土木の在り方に、ここらで思いを馳せてみるのも、意義のあることかも知れない。

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