田園環境図書館
新時代の河川博物館
河川博物館協議会
山海堂(1999年10月)
( 1,900円)
アメリカの河川博物館 河川博物館協議会
山海堂(1999年10月)
( 1,900円)
前者がヨーロッパの、後者がアメリカの、河川博物館を紹介した、日本唯一の本である。
一挙に同時発売されたので、こちらの方も、一括して紹介することにした。

パナマ訪問の節、パナマ運河のゲートのコントロール室をみせていただく機会を得たが、レバーひとつで巨大なゲートがゆるゆると動くのをみて、改めて、ローテクの力強さを感じた。
同時に、水は高きから低きに流れるという、水理のあたりまえの特性を、みごとに利用し尽くした先人の知恵にも、舌を巻いた。

ここには、小ホールも設置されており、運河に船が入ってから、出るまでの緩慢な時間の水位を、ハイスピードの映像で、訪問者にわからせるようになっている。

本書によれば、河川の博物館というのは、比較的新しい概念なのだそうだ。
では、今、なぜ、河川博物館なのかといえば、ダム、河口堰などの公共事業をめぐる住民アレルギーが強まるなかで、事業者と住民とが、いろいろな情報を共有することが必要となり、その間をもつパラメーターとして、河川博物館が、重要な位置付けをもちうるのではないかということである。

2年前には東京で、河川博物館についての国際会議も開かれた。

日本における代表的な河川博物館は「ミュージアムパーク茨城自然博物館」(茨城県岩井市)、「さいたま川の博物館」(埼玉県寄居町)、「みずのくにMUSIUM104”」(島根県桜江町)などだが、今後、同種の博物館は、日本にもどんどん増えてくるだろう。

ただ、東京では、今から11年前に「東京の川を考える懇談会」で、河川博物館の設置が強く提言されたにもかかわらず、その後の動きは鈍い。

ところで、本書の「新時代の河川博物館の可能性を探る」という鼎談のなかで、中川志郎さんが、次のような発言をされているのが印象に残った。

中川さんによれば、日本の子供達は、環境問題を考える時に、情緒的になりすぎているという。
日本の子供達が「地球を愛しましょう」というレベルに止まっているのに対し、アメリカの子供達は、ウォーター・ポリューションとか、イルカの生息とか、個別具体的に、環境問題をとらえているという。

そして、中川さんは、日本の環境教育にかけているのは、「環境に問題がある事は分かった。では、どうすればいいんだ?」という、身近な環境問題の解決方法について、無力な点にあるという。

これには、私も全く同感で、「しおまねきさん、かわいそう」などと、生態系を擬人化して、子供達に生態系の重要性を教えてくれることは、興味を引く分かりやすいやり方ではあるにせよ、果たして、それが正道の環境教育なのかどうか、私自身も、かねてから疑問に思っていた。

また、「子供達が環境が大事といっているのだから、大人達も、反省しなくちゃ」式の、子供達の環境正義をダシにした、大人達の不甲斐ないキャンペーンにも、腹立たしい思いがしていた。

近年、多少の進歩は見られているものの、まだまだ「地球よ、フロンよ、アマゾンよ」という、身近なレベルで当たり障りのない、あまりに高度の次元で、環境問題が、語られているケースが多い。

巨視的なレベルで環境問題を論じるのは、良いことではあるが、身近な環境問題を語れば語る程、被害者と加害者の立場が明確になってしまうので、それをウヤムヤにするために、意識的に巨視的にしてしまうのは、困ったことである。

恐らく、はやくから「事実教育」を推進してきたドイツなどに比べ、日本は、教師の側にも、やや幼稚な観点から環境問題をとらえる空気があったし、また、この河川博物館のような、環境教育のための最適な場も少ないし、例え、あっても、その事実を子供達に語りうるインタープリター(説明員)も少なかったことも影響しているのではないだろうか。

今後、事実教育のために必要なインフラや人材・ソフトは何かということも、政策課題に取り入れていかなければならないであろう。

なお、私のホームページの「田園リンク」の中に、本書と連動した「世界の河川博物館を歩く」とのリンクを設けているので、興味ある方は、アクセスしてみて下さい。

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