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笹山登生の発言・寸感アラカルト


2002年5月15日 沖縄本土復帰と与論島


今日が、沖縄本土復帰30周年ということで、各メディアも、いろいろな特集 を組んでいる。

ところで沖縄本土復帰前は、沖縄北部辺土岬と与論島との間28キロの真中に、北緯27度の国境線がひかれていた。

与論島のチヂ崎(写真)に行くと、本当に沖縄本島が眼前に迫っているのにびっくりする。

復帰前は、沖縄側の辺土岬と与論島の前浜(この写真の右斜め前にある)とが、毎月、28日に、かがり火をたいて、本土復帰への励ましにしたという。

このURL http:// www.okinawatimes.co.jp/spe/mind20020214.htmlに書いているように、もともと、与論島は、1608年に島津氏が琉球国を攻め、与論島以北を占領 するまでは、琉球国のものであった。

だから、言語も民謡も琉球のものであった。

その意味では、、与論島の人々に取ってみれば、30年前のこの日は、沖縄の本土復帰の日ではなくて、与論島の琉球一体化の日 だったともいえる。

つくづく、国境などというものは、政治が人為的に作るものであって、国境とて、その地域の言語・文化・民族の一体化までをも侵しえないものであることを感じる。

まさに、辺境ということばは、国や政治が作り出したものであって、その地域の人々にとって、国境などと いうものは、迷惑千万なものであることを実感するものである。

もし、今後、5-10年間、沖縄に基地がなくなる見通しがないのだったら、復帰30年後の、これからの沖縄の人々は、む しろ、基地の存在をしたたかに利用した、琉球国の実質再現を、模索することになるかもしれな い。

次の沖縄本土復帰40周年で、基地がないと、政治家の誰が断言できるのか。

本土の政治家は、あたかも実現するかもしれないように思わせるレトリックや迷惑な贖罪心で、もはや、琉球の未来を語ることは、つつしむべきである。

なぜなら、古来、アジアへの国際化の先頭にたってきた琉球は、むしろ、閉塞化し、老朽化した日本経済の活路を開く、先兵となりうるかも知れないからである。


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