笹山登生の発言・寸感アラカルト


2002年3月14日 北方領土の桜と宮部金吾

妙なことで有名になってしまった北方領土の桜の植樹問題だが、実は、桜と北方領土との関係には、ながい歴史がある。

札幌の緑を作った恩人として知られる宮部金吾博士(http://www.city.sapporo.jp/chuo/history/miyabe.html 参照)は、1883年には札幌農学校の助教授に就任し、それから退官後も、当時学問的に未知の地域であった千島・樺太の植物を採集分類した「千島植物誌」を発行するなど、千島列島や樺太の植物誌を完成させることに、専念された。

その過程において、樺太、千島、北海道の高山に自生している「ミネザクラの変種」に注目され、これを「千島桜Prunus Kurilensis Miyabe」と命名された。

現在、根室市の清隆寺境内にある千島桜は、明治2年田中文七氏が国後島よりもち帰って育てていたものを、明治44年当寺へ馬車に積んで移転したものだそうで、樹齢130年程のものである。

これらの本種が老木化しているため、根室市では、これら千島桜の保存・増殖をはかるめ、平成10年度より「千島桜植栽事業」に取り組んでいる。

このように、北方領土と桜の関係は、きってもきれない関係にあることを、今回の事件とは別に、私どもは心に銘記しなければならないだろう。
( http://travel.nifty.com/sakura/0518/0518.htm
参照)

同じような植物検疫の問題で、昭和33年、甲子園に初めて出場できたパスポート参加の『沖縄首里高 校』の選手が持ち帰ろうとした「甲子園の土」が、持ち替えれず、帰りの船の上から捨てられた。

事件の背後にある根室の人々の千島桜への思い入れも、この際、心にとめておきたいものである。


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