笹山登生の発言・寸感アラカルト


2002年6月9日

ああ、ポピュリズムの跋扈


政策形成に結びつく、インタラクティブな場として、政治家の掲示板や官庁のパブリックコメントなどが有効か、という問題ですが、政策判断を左右する公共圏の形成という意味では、非常に有効になってきていると思います。

たとえば、2chにおいても、例の「ニクコップン」スレでも、狂牛病発生の初期には、業界関係者や官庁関係者と思われる通りすがりを装う方と思しき方が結構書き込んでいましたし、その意味では、結構、拮抗力の力をはたしたと思います。

また、それをマスコミが増幅するというマルチ作用もあったかと思います。

政治家の掲示板では、その辺が、まだ非常に中途半端のように感じます。

わたくしのホームページの場合は、企業関係者(co.jp)・官庁関係者(go.jp)・地方自治体関係者(pref.jp)・大学関係者(ac.jp)・その他ネットワーク経由アクセス(ne.jp)が、ほぼ等分といったところで、ある程度のオピニオン形成のための情報発信機能は果たしているものと思っております。

ただ、市民の意見を聞けば聞くほど、良いものができるかといえば、どうも、その辺が、普通のLinux型のような成果が上がりにくい面があるようですね。

良い意味でも悪い意味でも、ポピュリズム的に収斂していくということです。

今日の毎日新聞に、松本健一さんhttp://justice.i-mediatv.co.jp/matsumoto/010828/01.html が「政治を壊すポピュリズム」http://www.sasayama.or.jp/akiary051/200206.html#20020616と題して、ヨーロッパの右傾化現象を論じていましたが、日本では、左傾的迎合をポピュリズムと称する場合がおおいので、そういえば、ポピュリズムとは、右傾化・左傾化・ノンポリ化いろいろあることに、改めて気づいた次第です。

このhttp://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20020611/mng_____kakushin000.shtml中で「選挙の度に繰り返される左右への大きな振幅からは、フランス有権者のしたたかさが透けてみえる。」というのは、左右への極端な投票行動の揺さぶりによって、ショック療法を試み、結果としては、究極の民意である中道の結論を目指すという、民の知恵ですね。
真意としてのポピユリズムと、手段としてのポピユリズムを、うまく使い分けているということでしょう。

日本の場合の劇場民主主義は、場あたりのブレしか見せていませんね。

当の政党からして、昨年の参院選では、マジで、小泉改革を支援するなんて野党もあったくらいですから、話になりません。

ポピユリズムの最たるものは、「首長の給料減額」ではないでしょうか。

麗しき話題として報じられがちな、この種の首長さんの給料の減額。http://mytown.asahi.com/akita/news02.asp?kiji=2393

有権者には、「こんなにまでして」と、思われるであろうことを想定しての、この種のパフォーマンスもいいかげんにしてもらいたいものです。

給料分を働くのが、首長さんの責任でしょう。

それを減額するというのは、「私はそんなに働けませんよ。」あるいは、「こんなに安く働いているのだから、せめて再選だけはさせてくれ」などの、さもしい、裏のメッセージが透けて見えてきます。

「首長の給与引き下げとくれば、一般に議員も同調しないわけにはいかないでしょう。」
との、議員さんのご意見もあります。

ここが、つらいとこなんですが、議員になるということは、いろいろな面で犠牲を払うことでもあるんで、「この程度の給料は、もらわないと。」という要求水準はあってしかるべきです。
議員報酬のバーゲンセールは、決して、費用対効果からいって、長い目で見れば、市民のためにはならないのでは?

そうでないと、戦前の高額納税者のみが議員というのと同じ事態となってしまいます。
そのような場合を「ええふりこき」(URLhttp://www.mumyosha.co.jp/ndanda/mutya/eefuri.html 参照)と、秋田では、いいます。

国会議員でも、特別委員長手当て返上なんてパフォーマンスもありますが、この場合は、、おそらく、首都機能移転候補地を決定する場が、議長の下に置かれた協議機関に移ってしまい、特別委員会自体が、形骸化した存在になってしまったことも、影響しているのでしょう。

だから、特別委員会を廃止する方が先決なのでしょうね。

したがって、そんなに無理しなくとも、車も手当てもいらなくなるというわけです。

『政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。(中略)どんな事態に直面しても「それにもかかわらず(デンノッホ)!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職(ベルーフ)」を持つ。』マックスウエーバー「職業としての政治」より


HOMEへ目次へ

HOME -オピニオン -政策提言 -発言- profile & open - 著書 - 政策行動-図書館-掲示板 -コラム- リンク- 政策まんが