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笹山登生の発言・寸感アラカルト |
アングロサクソン的な自己責任論を振りかざすペイオフ解禁論者には、まことに耳障りなことだろうが、家計サイドから、このペイオフ問題をみた場合はどうだろう。 「各銀行一律元金一千万円プラス利息支払い保証なんだから、各金融機関平等なんじゃないの。」というのだが、そうではない。 家計のメイン銀行が、大手銀行にかえられていく 家計にとって、銀行の魅力は、もはや利息ではなく、あるいは、銀行にとって、家計の魅力は、もはや、預金額でなく、双方にとっての共通の魅力は、 家計の決済機能なのだ。 これを銀行サイドからいわせると、「家計のメイン化」というのだが、たとえば、各種年金受領の受け皿機関、給与振込、クレジットカードの決済など、あらゆる入りと払いの振込集中決済のメイン化で、家計のあらゆる決済を取り込むことによって、家計を身動きできなくさせ、たえまない入りと払いの繰り返しで、総体としては、安定的な資金を確保できるというものだ。 これが、大銀行であれば、決済する方もされる方も同一銀行支店間である確率が多くなるから、資金の滞留歩留り率もよくなるというわけだ。 個々の家計では流動性資金であっても、マクロとしては、 安定した固定資金というわけだ。 では、ペイオフ解禁となった場合、 中止前の1996年以前の家計の状況と現在とでは格段に悪化しているし、アブナイ金融機関も格段にふえている状況からいえば、
たとえ、一千万円まで保証されているにしても、家計のメイン銀行は、一行でいいのだから、一家の主婦なり主は、当然、安全そうな銀行に、一千万円を超える預金も、これらの決済機能も、すべて移してしまうだろう。 これら決済機能の引当となる普通預金・当座預金のペイオフ解禁は、来年の4月以降となってはいるが、 事実上の預金移転は、今年4月の定期性預金と同時に行われてしまうであろう。 そうなると、元の家計のメイン銀行に残されるのは、既往貸し付けの貸付残高と返済充当分のみで、保証しうる一千万円の預金や流動性預金すら残らないということになりかねない。最近になって、金融庁は、貸し出しローン残高分見合いも、保証の対象とするとの方針を打ち出したが、では、ローン残相殺後の債権残高について、承継銀行が確実に承継融資してくれるという保証がなければ、顧客は安心して、取り引きをつづけないであろう。 なぜなら、ほとんどの顧客の住宅ローン残高は、相殺される預金額をはるかに上回る残高であろうからだ。
だから、弱小銀行にとってみれば、踏んだり蹴ったりの状況となるのは、目に見えている。 中小企業は、メイン銀行を換えたくとも換えられない 中小企業の取り引きについては、この家計の場合と全く事情が異なってくる。 ペイオフ解禁となっても、おいそれと、メイン銀行を移すことは、事実上、不可能であろう。 長期貸出金は返済できても、資金繰りは、運転資金の固定資金化−あるいは、棚卸し見合いの増額書き換えになっていて、事実上は、それが長期返済資金に回っているかもしれない。−で帳尻をあわせている以上、分散化できる定期預金も事実上は、見合い化しているであろうし、
それを他行に分散化したとしても、増加運転資金を手始めとした、新たな貸し出し取引進化が、すぐにはじまるとは、到底思えないからだ。また、定期積み金が事実上、中小金融機関の与信の暗黙の前提と化している場合も多いのだから、事態は、やっかいである。したがって、運転資金の固定資金化を含めた既往長期貸し出しが、これまでのメイン銀行にある以上、それら中小金融機関から、ペイオフを理由に、大銀行に鞍替えするメリットは、ほとんどない。
リスキーな貸出ができないのなら、ペイオフは、資金需要者にとって、何の意味もない ペイオフを解禁したところで、では、大銀行がよりリスキーな貸し出しに踏み切るかといえば゛、そうではない。 この「預金サイドをリスキーなものにしないためのペイオフの論理」が、「貸し出しサイドでのリスキーな融資を促進することの論理」につながっていないという、跛行性が、
中小企業にとっても、また中小金融機関にとっても、ペイオフ解禁を、つらいものにしていることを、政策当局者は、よく理解すべきである。 ましてや、メインあっての他行での与信の前提が、ペイオフによって、メイン切り離しとなるのであれば、他行によるリスキーな融資は、いっそう行われなくなるであろう。 リスキーな融資という社会的な使命を果たすことができないのなら、いっそのこと、大銀行は、預金者も選別して、余裕を持ってリスキーな融資もできる、高級サロンと化した強者のための銀行をつくれば良いではないか。まあ、現代版高級無尽講というとこか。 このように、この実質恐慌状態にある日本経済のもとでは、ペイオフ解禁は、相乗的な影響を、弱小金融機関にも、弱小企業にも与えることになる。 金融庁がペイオフ解禁を前提として、それに耐えられないであろう中小金融機関に「自主的退場」という名の「緩慢なる死刑執行人としての責務」をはたしている昨今の動きは、資金の供給サイドのみにたった判断であり、資金の需要サイドのことも考えた判断でない。 金融界の再編のために、中小企業のおかれた他の産業界の再編も促してしまうという、社会的連鎖と跛行を、政策当局は、もっと総合的に考慮に入れなければならないのではなかろうか。 郵貯の振替口座は、ペイオフの避難港となっていないか さらに問題となるのは、郵貯と弱小金融機関との、格差、イコール・フッティングの問題だ。 郵貯はもともと、ペイオフ問題とは無縁の存在であり、一千万円の限度管理はコンピュータでされているものの、それ以上の預け入れをする時点では、各郵便局の窓口に原簿がない以上、
その場で、リアルタイムで確認できず、複数口座を実質もてる(預入限度額を超えた場合には、あとで、客に知らせ、預入限度額の範囲内に減額(払戻し)ということになっている。)わけだし、また、たとえ、一千万円をオーバーしても、そのオーバー分は、無利息の『振替口座』に振り返られるし、この振替口座は、いくら預けても、実質無制限なわけだから、ペイオフ逃れの、もっとも、都合の良い逃避港的存在となる。 第一、「郵貯の名寄せが、完全に4月までに終わります。」という公式報告は、何もないではないか。
もっとも、これは、限度管理のためにやるものであって、ペイオフと歩調をあわせる必要のものでない以上、何も4月まで完了する必要もないといわれてしまえばそれまでなのだが。
公金の預け先としても、郵貯は、格好の逃避港となりつつある。
これは、「どうぞ安心して、ペイオフ対策に郵貯のご利用を」という勧誘のメッセージに聞こえる。
ペイオフにあたっては、金融機関は、各支店の名寄せが行われ、一行一千万円保証というのに、どうして、郵貯は、預け入れ時点での複数口座チェックが即座に出来ないシステムなのか。 また、当座預金が来年4月、ペイオフ解禁というのに、同じ無利息の郵貯の振替口座が無制限というのも、バランスを欠いた話だ。
これでは、「官業による民業の圧迫」ならぬ「ペイオフ解禁をトリガーとした官業による民業の取り込み」といえるのではないか。 抜け道をふさぐことが、自己責任論主張の大前提
財界筋は、 ペイオフ解禁とならなければ、国際的な公約事項であり、国際的な日本の信用はがた落ちとなり、外国投資家の失望を買い、株価低落は必至との見解だが、これだけ、抜け穴のおおいペイオフ解禁をむりに実施するよりも、これらの抜け穴を埋めることが、公平な自己責任論を振りかざす大前提となるのではなかろうか。
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