笹山登生の発言・寸感アラカルト


2001年10月06日 給食だからこそ安易な再開はしてはならない。

 
 

落ち込んだ牛肉の消費拡大に給食を利用とする動きがあるが、安全宣言がまだ出ていない状況のもとで、大人たちは、どうしてこのような無神経なキャンペーンをするのか。

和牛の生産県にこそ、このような動きが激しいが、慎重な配慮が必要だ。

学校給食への牛肉使用問題について、文部科学省は、県や現場の選択だとして、一向に公式見解を示していないのは、驚くべき、子供の健康を見下げた態度である。

センシティブな子供であるからこそ、国が食の混乱から守る義務があるはずだ。

それが出来なければ、給食なんぞ止めてしまえといいたくなる。

子供に食べさせて、後から大人たちが、恐る恐るついてくる--これでは、まるで子供たちは毒見役ではないか。

テレビの前で肉を食らう政治家のパフォーマンスと同じ考えで、子供の食が考えられているとしたら、文部科学省の責任重大である。

それとも、この国では、子供の体よりも、商業主義を優先するとでもいうのか。

給食のそもそもの生い立ちは、山形県鶴岡市の欠食児童対策から始まった。http://www.sdp.or.jp/~hiroshima/t1_2.html

この生い立ちからして、給食の食材の安全性について、これまで、食の過程において、子供に教育するという機会として、給食を位置づけることはなかった。

それに加えて、近年のコスト重視の考え方の進行から、食材の安全が懸念されている。

私立学校では、親の弁当に、食の安全責任を持たすと言う、考え方をしているところもあるが、一方で、親が取り囲まれた社会構造が、給食を不可欠とするものになっているという事情もある。

しかし、これは本末転倒の考えである。

これほど食の混乱が出てくると、親は自衛のためにも、給食に安全性が確保できなければ、そのシステムから抜け出し得る選択肢を有する権利が生じてくる。


ましてや、米の消費拡大や牛乳の消費拡大のために、子供がモルモット代わりになることは、もはや許されない。

生産者が親であっても、それとこれとは別のはなしである。

それは、誤れる郷土愛というものであろう。

ようやく、最近になって、文部科学省は、牛加工品の給食への使用制限措置を打ち出したが、これは、子供の健康を守る主管庁としては、あまりに遅すぎる対応である。

何を、そんなにおびえているのか。

子供の食安全の最前線に、文部科学省はもっと立つべきである。




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