笹山登生の発言・寸感アラカルト


2001年3月5日 県民党の悲劇
(掲示板から)





「コモンズの悲劇」という言葉がある。

ある広場を、誰でも羊を放牧できる場とした。

その結果、その広場は、羊だらけとなり、無償で提供されるはずの草地は、たちまち、枯渇してしまった。という例である。

これと同じような例が、既存の体制をやぶって当選してきた自治体の首長さんのスタンスに、見られるような気がするのは、私だけであろうか。

例えば、田中長野県知事のダム決別宣言は、県民の立場にたった宣言とはいえ、あれだけでは、当事者としての責任は、まっとうされているとはいえない。

苦しい利害調整を伴う代替案がないからである。

県民という渾沌とした概念のもとに、県民サイドを標榜されても、利害調整の調整者としての「泥をかぶる役割」は、放棄されている。

県民は、自分達と同じスタンスに立ってわいわい騒ぐ為政者を最初は歓迎するであろうが、そのうち、「あなた、いつまで私達と一緒にさわいでいるの?この混乱は、あなたの責任じゃないの。そろそろ、自分のやるべきことをやったら?」と言い出すに違いない。

広場に羊を放すことだけみとめても、のちにくる広場の悲劇を阻止することはできない。

苦しくとも、体を這って広場に放牧される羊を阻止することや、別の広場を用意することが、必要になってくるからである。

「県民党の悲劇」を招かないためにも、県民党や市民党を標榜される首長さんは、プロジェクトの代替案を出すなど、もっと憎まれっ子になるべきだ。

Alternative Developmentという言葉がある。

どう訳したらよいのか。代替的開発とでもいおうか。

NPOやNGOが、これまで既存の体制の「力のはく奪」に力点をおいていたのが、代替案を提示し、より前向きな環境創造に向える代替案を提示する時代をあらわした典型的な言葉だとおもう。

NPOですらこのような方向転換をしているのだから、県民党を標榜されている首長さんは、もっと、Alternative Developmentの案提示に責任を持たなければならない。


HOMEへ目次へ

HOME -オピニオン -政策提言 -発言- profile & open - 著書 - 政策行動-図書館-掲示板 -コラム- リンク- 政策まんが