笹山登生の発言・寸感アラカルト


2001年6月20日 「一流の田舎」とは、すばらしい発想


小泉総理も絶賛したという6月16日の青森市のタウンミーティングでの青森県大間町の会社員、島康子さん「一流の田舎にしよう」との発言

私も、この発言は、すばらしく、勇気付けられる発言であるとおもう。

この「一流の田舎」という言葉の元祖は、福島県喜多方市を中心にした飯豊山麓の5つの市町村の商工会議所青年部の有志が、平成2年1月に、自主的に開国した飯豊連峰合衆国のメインテーマとして考えだされたキャッチフレーズで、当時の関係者のお話によると、3ヶ月近く毎週酒を飲みながら会議をし 考え出したテーマとのことである。

こうして、民間(若い人)が主導となり、「一流の田舎」をメインテーマに、ミニ独立国運動が出発した。

当時の関係者Aさんのおはなしによると、一流の田舎というのは、バブル時代の都会優先の考えでなく、田舎には、自然・水・生活・歴史・・・・ 都会に負けない一流のものが有るじゃないか
それなら、若い者同志が「一流の田舎」という誇りを持ち、「一流の田舎」として自分の町を 市町村の壁をとって活動しようとなったとのことである。

Aさんいわく、今日的にいえば、民間主導型の地域連携、市町村合併事業というべきものだったらしい。


もっとも、この事業も、進展に伴い、各種公的助成金の獲得と消化にのみ追われる羽目となり、その反省から、現在は、補助金に頼らない自主独立の、それぞれのご商売の共通ブランドとしてこの名前をのこし、この名前でのホームページも開設している。

「一流の田舎」を作るのは、あくまで民であり、官主導型や補助金漬けになった「一流の田舎」作りは、決して成功しないというのが、「一流の田舎」元祖の皆さんの確信である。

一方、今回話題となった青森県大間町の島康子さんは、あおぞら組という地域おこしの任意団体を作り、その組長として、ホームページなどでの活動を通じ、本州最北端―大間町の地域活性化にがんばっておられる。

島さんが「一流の田舎」のヒントを得たのは、青森県の放送作家で高校教諭の畑澤聖悟さんの、地元紙東奥日報のコラムでの発言や、氏の作品で地元放送局で放送されている「県立戦隊アオモレンジャー」のなかでの「二流の都会より一流の田舎のほうがえらいんだよ。」との言葉であるという。

畑澤聖悟さん は、東奥日報のインタビューの中で「青森は濃厚な風土と自立した文化があるのに、全然そういう認識はなくて、田舎で嫌だとか文化がないというのを聞いて、そうじゃないだろうというのが出発点。彼らには、ここに住んでいる誇りがない。それじゃ寂しいじゃないですか。誇りは自己申告制。あれば生き方が全然違ってくる」とのべている。

島さんによれば、今回の一件で、「一流の田舎」という言葉だけが、ひとり歩きしてしまった感があって、とまどっておられるようであるが、「田舎らしさに胸張っていこうよ!」ということが伝わったなら、よかったな〜と思っておられるという。

また、ヨーロッパをバイクで歩く横浜の遠藤裕司さんは、「一流の田舎」の条件として、次の点をあげられている。


「東北地方の水田が広がる風景にスイス人を案内したときの事ですが、「素晴らしい!」、「きれいだ!」を連発しました。その様子からお世辞ではなく本当にそう感じた事がよく分かりました。

考えてみますと、ヨーロッパには麦畑やブドウ畑が連なる田園風景は一般的でも、水田が広がる景色はありませんから、異文化の美しさに触れて自然に出た賞賛の声だったのだと思います。

また、英会話スクールの先生方(外国人)に、「何故日本を選んだんですか?」と尋ねると、多くの人から「西洋とは違う文化だから」と返事が返ります。

我々が多少なりとも西洋の文化に憧れを持つように、西洋人は我々が長い時間をかけて築いてきた文化に、憧れと尊敬の念を示します。

東京や大阪といった大都市の繁栄に驚きを隠しませんが、決して尊敬はしていないのです。

「一流の田舎づくり」とは、そんな、我々日本人が「当たり前」に思っている風景を生かすことにこそ、原点があるように思います。

日本において一流の田舎と呼べる場所があるのか疑問に思います。

何も国際化が前提では無く、自分たちが住む都市、町、村を愛し誇りを持っているのは唯一「京都」ぐらいのものではないでしょうか?

外国人が京都を訪れると、大いに満足し、尊敬して帰るそうです。

何故ならその文化が一流であるのを見抜き、自分たちの文化とは異なるけど、独自の文化を維持し残していることに感銘し、尊敬の念を抱くらしいからです。

 もちろん京都は田舎ではないけど、一流の田舎というのは京都のように自分たちの歴史・文化を守り育んでこそはじめて「一流」と呼べるようになるものと感じます。
 
それと、日本の民宿経営者の方々が外国人観光客に対し意識が薄いのはやはり英語の壁があるからと思います。

片言でも話せれば、一気に広がる世界なのにもったいない気がします。

スイスで「一流の田舎」を実感し、わが日本に於いて、何故そのような意識が生まれないのか、極論を言うとこの「英語」の問題にたどり着きます。

国内に対し、閉ざされた「一流の田舎」を目指すのも一つの生き方かも知れませんが、スイス人が当たり前にグローバルな視野を手に入れて、真の意味で「「一流の田舎」を具現化している背景には、やはり言葉の問題が大きいと言わざるを得ないと感じています。

(笹山がいうように、)バイクでも徒歩でも、自由にまわれるひらかれた田園こそ「一流の田舎」と思います。
そして、外国人も気軽に立ち寄れる、滞在したくなる田舎であってほしいものです。」


遠藤さんのおっしゃるに、「国際的に開かれた田舎こそ、一流の田舎」というわけだ。

「農村は、悲惨であり、農業はくるしい。」と位置付けることで、長年、政治や政党、あるいは農業者自身も、その存在意義を示すための一種の利得を得ていた、というのは、ある社会学者の分析であるが、あながちあたっていないとはいえない真実性がある。

ヨーロッパの田舎も、苦しい現実の中で、農村らしさ、地方性を誇りにして、美しい村づくり(リンク集参照)に励んできたことを思うと、日本にも、いまこそこのような前向きの発想が必要であると思う。

過疎という言葉にしても、「過疎は善なり」という発想に転換することが、いま必要なことであると思う。

そのために必要なインフラは何か、ソフトは何かを考えることが、いま政治に求められているのではないか。

「一流の田舎」にするために、在来型の社会資本でまかなえないものがあるとすれば、積極的に農業・農村投資の比重を、その方向に向けてシフトしていくべきときであるとおもう。

参考

青森タウンミーティングでの発言

島康子さんの発言

大間というところを閣僚のみなさんご存知でしょうか。北海道が手に届くような所に見えていて、ここに来るまで3時間かかりました。そういう気合いの入った町からやってきました。地理的なハンディを子どもの頃から、劣等感としてずっと持っていましたが、都会で何年か暮らして、自分の故郷に戻ってきた時に自分の故郷の個性、濃さみたいなものとか、オリジナルのパワーみたいなものにすごく衝撃を受け、大間を私なりに一流の田舎にするぞ、というような意気込みでいろいろなゲリラ活動をやっております。
今までは国土の均衡ある発展だったのですが、これからは個性ある地域の発展、というのが今の新内閣が考えていることだと思いますが、そういう考え方と一致しているのではないかと思っています。全国にたぶんそう思っている国民があちこちに出てきているような気がしています。いつまでたっても道路がよくならないとか、働く所がないとか、そういうぐちぐち文句ばかりいっていることを、この辺では「ぐだねる」と、みなさんも使っていると思うのですが「ぐだねーでばっかりいてもしょうがない」と。とにかく「自分たちができることを考えてみよう」とか、自分たちがやれることから何か行動に移していこうというそういう国民が出てきているような気がします。
ただ、頑張ろうと進んでも、お上の壁みたいなものにぶち当たる時があり、自分の身近な所では、町の中にお金をかけたというような施設がある。そこを町の人が使っているかというとほとんど使っていない。今あるものをうまく使っていこうと、みんなで考えて、こういうことできないかということを役場にいうと、それは国が作った施設だから勝手な使い方はできない、ということで撥ね付けられるわけです。そういう時にすごく無力感に引き戻されてしまう。いったい誰のために作ったか?町の人のために作った施設なのではないの?といいたくなるようなことがあります。そういうのは施設ばかりではなく、事業であるとか、国からお金をもらってやっていることが多々見られると思います。
もう一つITに関してですが、私がインターネットというものに接するようになって、それこそ地理的なハンディを覆してくれるようなツールだったわけです。それが自分にとっての心の解放というか、精神的な解放感が得られた。つい先日、東京でバリバリ働いていた隣村の後輩が急に故郷に帰ってきた。彼女がいうには「インターネットがなかったら、田舎には帰ってこなかったかもしれない」と。私自身もこんなに今熱くなって喋っていますが、ここまで自分自身が活性化されたのはインターネットというツールの影響が本当に大きいと思っています。これからITがどんどん推進されていくと思いますが、そこに今までと違った構造がインターネットによって作られるかもしれない、という期待感があります。今までの中央から地方、都市から田舎という中央集権的な流れとは違った構造ができるような気がしているのです。今、少しずつ進んでいるインフラの部分が今までのような中央から始まる、都市から始まるというような感じで進んでいくなら、やはり、「なんだよ、今までと同じ構造がまたできるのかな」と思って、気にかかっています。こういう少しずつでも動き出した国民、自分自身が頑張れば今日より明日が少しずつ良くなるという構造改革になってほしいと強く感じています。

竹中大臣の答え

島さんが「大間を一流の田舎にする」とおっしゃいました。私、大間に本当に行きたくなりました。そういう人がたくさん出てくることが、改革なのだと思います。そのためのインターネットという一つの武器も、幸いにして私たちにはあるし、日本の経済、悪くなったといいますが、まだ、他の国に比べたら、すごく余力がある。一つの数字をぜひ申し上げたいのですが、日本経済失われた10年で私たちの経済は不況のどん底であるとジャーナリズムでよくいいます。経済は厳しいです。しかし、今の私たち国民の所得合計(GDP)は、日本の今のGDPは、バブルのピーク、ピークは1990年、11年前、あの時に比べて16〜7%高いのです、今の方が。これは事実です。低くなってなんかいない。韓国でもインドネシアでも危機が起きた所は10%ぐらい下がった。日本は下がっていない。上がっているのです。16%も。それだけ私たちの経済の中にはものすごく強い製造業があって、素晴らしい勤勉な国民がいて、それを支える余力があるうちにやっておこうというのが、この改革の趣旨です。

武部大臣の答え

先ほど島さんの話にありましたが、私はこれから、交通インフラ、大間から3時間というのはひどい。ここの政治家何をやっているのだろうといいたくなる。やはり交通インフラと情報インフラ、これはインターネット、これは東京でも青森でも大間でも同じような条件で利用できるようになれば、なにも東京や青森市内に住んでいなくてもいいのです。大間でも十分に東京の仕事ができる。つまりいつでもどこでも誰でもが同じ条件下で生活できる、あるいは仕事ができる、というのが小泉内閣の目指している生活維新ということです。二重生活を享受できるということは素晴らしいことだと思います。私は土曜日に女満別空港、私の選挙区は網走ですから、番外地が選挙区なのですが、土曜日に地元に帰る飛行機から見下ろす大地を見るだけでストレスが飛んでいってしまう。しかし、東京も魅力があります。私は六本木は得意ではありませんが。東京に帰りますと、東京には美術館、オペラ、六本木、渋谷がある。だからウイークエンドには青森の若い人たちが東京へ、仙台へ行ける。行ったり来たりする。つまり二重生活を享受することができる。今まではここの生活しかできないと思ったのが、あれもこれもできる。そういう時代になっているのではないか。ですから私の構造改革の中でも「農山漁村の新しい可能性を切り開いていきます」というのは都市と農山漁村は対立するのではなく、共生、対流する関係にある。対流というと若い人は知らないかもしれません。お風呂を沸かしますと暖かくなったら上に上がって、冷たいのは下がってきてぐるぐる回っているうちに一掻きすればお風呂に入れるようになる。都市と地方、都市と農山漁村というのはそういう関係で、都市の人たちにも田舎の美しい故郷、おいしい水、きれいな空気、安全な食べ物、美しい自然が得られるようにしよう。また田舎の人たちもすぐに都市にアクセスできる。そういう時代にできるのではないかという構想を描いています。

南野副大臣の答え

島さん、今日より明日へ向かって行こう。私はその精神が本当に開拓していくものだと思っています。看護婦の世界から政治の世界に飛んだ時に鹿児島の方言で、「なっこよっかひっとべ」と、泣いてぐずぐずしているよりもちゃんと自分を試してみようよ、そういう意気込みを私たち人生に持ちたいものだなと思い、そのような気持ちで今やっているわけです。なんとなく女性が強いのですかね。これからの21世紀も強くならなければいけない、と思っています。



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