笹山登生の発言・寸感アラカルト


2001年6月7日 ヒマラヤのロマンス


今回のネパール事件をサーチしていたら、このようなURL http://www.dlynnwaldron.com/prince.html が引っ掛かってきた。

みると、なんと1958年の記事で、当時の第4皇子のヒッチハイカーのアメリカ女性との結婚問題も、おおさわぎだったらしい

このロマンスは悲恋に終わったらしい。

この王子様の名前がバズンダーラで、お相手の女性ディアンヌ・リン・ワルドロン(22才)さん。
王子の父は、トリブバン第8代国王で、ネパールの民主化につくした人。

実は、この王様は、1950年11月6日に、亡命を図り、インド大使館に逃げ込み、親戚に遊びに行っていた一人の孫を残しては、一家を挙げて、インドの軍用機で、インドにむかった。

この残された当時2歳の孫というのが、今度の新国王ギャネンドラである。

そこで国王亡きネパールのラナ政府は、このギャネンドラを、新国王に選んだのである。

これに対し、インド、イギリスは、承認せず、アメリカも最後は承認をひかえた。

その後、インドの支持により立憲政治を視野に入れた王政維新がはかられ、1951年2月15日に、トリブバンは、再び国王として、カトマンズに帰還した。

1955年3月、トリブバン国王は、スイスで死去した。

トリブバン国王には、3男4女がおり、うち王子は、マヘンドラ、ヒマラヤ、そして、ロマンスの主人公バズンドラである。

新国王には、マヘンドラが、即位した。

1958年12月、バズンドラ王子とワルドロン嬢がニューヨークで挙式したと各誌が報じる。

ところが、このころより、ネパール周辺の国が、あわただしくなる。

1959年3月のチベット反乱により、ダライラマは、インドに亡命。

インドと中国の関係が悪化する中で、ネパールは中立を守ろうと苦心する。

ソビエトは、インドに接近する。

そのような中での、バズンダラ王子のロマンスである。

すっかり。二人は、国際緊張の只中に、のみこまれてしまった。

アメリカにもネパールにもおれない二人は、当時まだ州でないハワイで、あうしかなかった。

花嫁のインド経由の入国も、花婿の出国も、アメリカでの市民権も、政治的にままならないうちに、この恋は終わりを告げることになる。

その後、バズンダラ王子は、いまのエコツーリズムの元祖ともいえる「第三の眼ツァー」なるものにPATAと協力するなどの成果をあげたが、ヒマラヤ王子とおなじく、すでになくなられている。

一方のワルドロンさんは、いまもご健在で、持ち前の器用さで、アートデザインなど広い分野での活躍をされているという。

こんな、ドラマになってもいいはずの恋物語なのだが、いまだに、そのような話はないようだ。
近々、ワルドロンさんが、このような数奇な半生を書いた"Dangerous to Know"という、名前からして、やや、びびってしまう本をだされるようだ。
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