笹山登生の発言・寸感アラカルト


2001年6月1日 政党助成金(政党交付金)の減額がなぜできないのか。


6月1日官房長官は、官房機密費の減額をアナウンスした。

聖域なき減額は、この領域まで及んだ。

残るは、政党助成金(政党交付金)、なぜこの減額に、どの政党も名乗りをあげないのか。

ハンセン病訴訟判決によって、司法による、立法府の不作為が問われる昨今である。

なんらかの格好で、国会議員みずからが、形あるおわびの心を示してもいいのではないか。

そもそも政党助成金(政党交付金)は、金のかからない政治にいたるまでの、段階的つなぎ措置の意味合いもあったはずである。

であるとするならば、永遠に助成単価が一定であっていいはずはない。

コーヒー一杯分負担の次ぎは、粗茶一杯分でもいいはずである。

麻薬やアレルギーと同じように、政党の育成・自立には、一種の減感作療法が必要なのではないか。

さらにいえば、政党助成金(政党交付金)によって、健全な政党が育ってきたのだろうか。

助成金が既得権化し、政党の官僚化、閉息感のただよう硬直化、より大きな政党に移行しうるさまたげになっているようにみられる。

既得権を守るためにいわば政党が同族化しているのが今の状況なのではないだろうか。

このような状態での政党助成金(政党交付金)という既得権を抱えた政界再編などといっても、それは近親結婚の域を出られないのではないのだろうか。

政党がもっと活性化するためには、むしろ、企業団体献金を自由化すること、いわば政党の市場化が必要なのではないだろうか。

もちろん昔の本家帰りをするという意味ではないが。

何の世界でもそうだが、公的助成を受けるとたん、組織が官僚化し、世間に対し委縮してしまう、妙なのがいばりだす、というのは、政党とて、例外ではなかった様だ。

助成金が政党間のかっ達な自由競争、健全な政界再編をさまたげているといってもいいのではないか。

いまからおもえば、助成金設立の当初の動機が余りにきれいごとすぎたのではなかったのではないか。

そろそろ、政党助成金(政党交付金)の功罪について、見直す時期にきていると思う。


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