笹山登生の発言・寸感アラカルト


2001年12月16日 新しい民の概念での民営化を進めるべきとき



一昔前の、中曽根さん時代の日本経済がうまくいっていた時代の民営化成功

神話を今でもひきずって、ユニバーサルサービスにも民営化をと唱える御仁

の多いことよ。というのか、率直な感想ですね。別に、小泉さんのことを言っ

ているわけではありませんけれども。

しかし、今の日本経済の失敗は、その多くが、規模の経済がうまくいかなく

なってきた、人によっては、いまや規模の経済でなく範囲の経済という人も

あるようですね。このメリットがなくなると、民営化のメリットのほとんどが

なくなってしまうということですよね。それと、ユニバーサルサービスを民間

に託す場合のデメリットとして、非永続性ということがありますね。民間サー

ビスというものは、せいぜい続いて10年というものでしょう。これからは、

その陳腐化のテンポは、もっと早くなってくるかもしれませんね。

今年、岩波ホールで見た中国の映画「山の郵便配達」は、親子二代の郵便配達

の一生をえがいたものですが、私は、ここに、息の長い地域密着のユニバー

サルサービスの原点を思い知らされた気がしました。政府なり政策の適切な介

入がない方が、活性化するというのも、ほとんど神話ですよね。

このURL にあるように、むしろ、適切な政府部門の介入が、公的なセクター

であっても、効率的に機能する場合もあるという説もあります。私は、この民

営化至上主義に対しては、前から疑問をもっていたのです>

市町村合併問題についても、都市の生態的な生成機能を 無視し、交付税制

度を飴と鞭にした、合併推進論には、ちょっと疑問をもっているこのごろで

す。

 特に、広域圏の中心都市主体型の合併構想には、地域形成のダイナミズム

を奪う危険性のあることを、私自身も懸念しています。

私の田園環境図書館の「ヨーロッパのアメニティ都市」で、いくつもの都市

葉の形成が都市のダイナミズムを生むことを指摘していますが、今の市町村

合併構想には、いかにして、地域のダイナミズムを生み出すかという視点が

抜け落ちています。

いわば、地域住民を社員と見なしたような、ドライな「規模の経済追求オン

リーの視点」のみであり、これは、都市形成を生態的にとらえ、その構成要

素としての地域の住民、地域資源、歴史、文化をどう活かしていくかの視点

に欠けているのではないでしょうか。

その大義名分たる規模の経済の発揮すら、不況の状況では、そのメリットがえられなくなってしまっているのです。

この構想を活かすとすれば、むしろ、中規模の個性あふれる都市葉を、県庁所在地周辺に、バランスよく形成させることが、必要なのではないでしょうか。

国の考えについては、http://www.soumu.go.jp/gapei/gapei.htmlを参照)


 アウトソーシングの意義についてですが、特殊法人の設立自体に、アウトソーシングの意味がこめられていたと思います。

そして、これら公営企業や特殊法人の生い立ち時点では、立派な大義名分が゛あり、そして、アウトソーシングの意義も多分にあったはずです。http://www.kantei.go.jp/jp/gyokaku/report-final/IV.html 参照

ところが、 早口言葉ではないですが、「親亀の上に子、子亀の上に孫亀」というように、近親結婚の中での分家化というような形で、これまで進み、おそらく、今回の改革で民営化したとしても、そのような形でのアウトソーシングであれば、いくら、その過程を繰り返しても、何の改革にもならないということになってしまいます。
いわば、ヒモツキ民営化の弊害に、もっと目を向けるべきということです

天下りした法人については、行政が逆に相手にしないということができれば、それにこしたことはないのですが。

市民のオンブズマン的監視機関が、そうなると必要になりますね。

 

私は、民営化と名がつけば、何でも許容されるという悪のりで、ともすれば、やっかい者払いのアウトソーシングや、実質ヒモツキ民営化などという考え方が蔓延してしまいはしないかと懸念しています。

ですから、権限委譲すべき「民」とは、何なのかということから議論を始めないと、当初は慎ましく民の格好して親亀の上にちょこんと乗っかっただけの民営化が、さも、改革のごとく大手を振って歩く、といったことになりかねないのではないか、というのが、私の懸念するところです。

このURL でみるイギリスの事例は、企業を超えた間接部門の分社化によって、分社化した組織自体が、大き区効率的な組織に育つという例ですね。

間接部門の独立独歩を促す、このことによって、アウトソーシング自体が経済効果雇用効果を持つという例ですね。

こんな観点から、日本の改革において何が生まれ得るかを考えてみた方がよいかと思います。

確かにやっかい者ばらいを目的としたアウトソーシングでは、社会的なオリを生み出すだけですね。

連結バランスの元での、民営化の功罪、合併効果の真偽を確かめるときです。

ただし、NPO部門と組み合わせた民営化論には、私は、大賛成です。

つまり、「民」がNPOのような「新しい民の概念での民営化」というのを、この際、考えた方が、21世紀の民営化のモデルになるのではないかとも考えています。

コミュニティビジネスという形でですね。

これは、新しいキー・パラダイムになり得ますよ。

公的部門のアウトソーシングをコミュニティビジネス二よって果たすということですね。

一方で、ヨーロッパではじまった、SMEの考え方で、地域のマイクロビジネスを起こすという発想が、今やアジア格国にも伝搬していますね。

いくつか、私と同じような観点からの考え方も出ていますので、その代表的なURLをあげておきます。

http://www.janbo.gr.jp/research/vision.pdf http://www.softcre.co.jp/think/com_biz10.html

http://www.netlaputa.ne.jp/~akahoshi/backnumber/diary00/diary0101.htm

でも、どうして、このような発想が、野党側から出てこないのですかね。

何も、野党連合などと、戦闘好きの発想で意気込まなくとも、このような対峙するパラダイムをポッと提示するだけで、野党の存在感は示せるはずなのに。


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