笹山登生の発言・寸感アラカルト


2001年4月27日 水俣病問題はおわっていない。




問われた国・県の責任


4月27日、水俣病関西訴訟で、国・県の責任がとわれたhttp://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200104/27/20010427k0000e040022000c.html

家賠償法にもとずく国・県の責任が問われたということは、司法の場においても、確実に環境マインドの進展が見られているというあかしである。

私が、水俣問題のプロジェクトチームの座長をしていた時代には考えられなかったことだ。

先の自然の権利裁判につづき、実質、国民の環境権についての司法救済が実現できそうな司法の変革のきざしは、歓迎すべきことだ。

患者は、もう長い裁判で疲れ果ている。原告は上告しない (その後、減額・棄却の原告ののみ上告となった。)とのことである。

国・県の更なる言い分もあるだろうが、この際は、上告を取りやめるべきであろう。(注:2001年5月9日国は上告を決定した。)
http://www.kumanichi.co.jp/dnews/20010510/kiji1_0000005214.html
http://www.kumanichi.co.jp/dnews/20010510/kiji1_0000005212.html

環境省の賢明なご判断をのぞむ。

それにしても、この判決の及ぼすところの大きさに、心の重さをかんじる。

おそらく、熊本県も環境省も、そうだろう。

私自身も、水俣問題プロジェクトチームにたずさわっただけに、重さを感じている度合いは、他の政治家より、多いだろう。


問い直される政治決着


しかし、誰よりも、この判決を聞いて複雑な心境だったのは、1996年5月に、連立与党の示した国・県の責任を問わぬことを前提とした和解案に応じ、和解した、3次訴訟、京都訴訟、福岡訴訟、東京訴訟の原告の皆様方だったのではないだろうか。

これに先立つ1995年12月15日、当時の村山首相は、水俣病についての「首相談話」を発表し、その中で、国の国家賠償法上の責任ではなく、被害者に対する救済が遅れた国の結果責任について、「申し訳ないという気持ちでいっぱい。」という言葉を用い、遺憾の意をしめした。

このときの政治決着においては、「国・県についての責任は問わない」ことを前提とし、「和解対象者は水俣病ではなく」、また、「チッソよりの一時金は補償ではない」という、きわめて政治解決らしい、理論的に整合性の取れない前提のもとにおいて、本来もう一つの和解の相手役であるべき国が、付き添い役にまわっての、チッソと原告のみのイレギュラーな和解であった。

しかし今回の判決では、このいずれの前提をも否定しており、とくに、病像論の根本的な解釈の変更を通じ、「これら和解に応じた当時の原告の皆さんも、関西訴訟原告と同じく、水俣病である。」とのメッセージをおくっているのである。

この判決の前においては、当時、村山自社さ政権の最大の成果と称された政治決着をも、いろあせてみせるほど、はっきりとした国としての発生・拡大責任の取り方をせまっているのである。

しかし、こんな見方もあるであろう。
「では、あの和解はなんだったのか。これでは、司法の後だしジャンケンではないか。大方の訴訟が和解で決着した後、ここにきて正論を振りかざすような司法の判断は、逆にいえば、政治・行政への遠慮が、これまであったのではないか。」

きっと、そんな思いでおられるかたもあるにちがいない。


風化が進む水俣病問題


たしかに、司法の場に限らず、国・県の責任や、病像論などについて、皮肉なことに和解が済んでから、次々と、これまでの見解を否定する論や事実が明らかになってきている。

同じことは、報道についても言えるかも知れない。

水俣病発見初期のマスコミ報道が、確認を遅らせたという自己反省がだされる一方で、和解後は、西日本地区を除いては、全国レベルでの水俣報道は、めっきりすくなくなってきた

はたして、報道各社は、環境報道の持つ、社会的責任の重大さを、水俣報道を通じて、後輩各位に、申し伝えているのだろうかとも、思う。

当の環境省にしても、風化はすすんでいる。

新装なった環境省のホームページに公開されている水俣病に関する資料は、環境庁時代のものの多くはアクセス不能となり、いまや必要最小限(たった4情報)しかない。

2001年4月1日より独立行政法人となった国立環境研究所のホームページで、初めて、水俣病関連の情報入手ができるという複雑さである。

水俣市にある国立水俣病総合研究センターのホームページにいたっては、研究報告実績が、平成9年度で、更新がストップしたままである。

意識的に風化を促進させているわけでもあるまいが。


迫られる判断基準の見直し


そんな経緯の後での今回の判決である。

わずか5年後に、当時はまったく想定していなかった国家賠償法上の国・県の責任を問う司法判断が、よもや、でようとは。

しかも、チッソの賠償金額は、和解にもとずく一時金280万円をはるかにこえる、450万円−850万円となろうとは。(正確には、これに、国・県の賠償責任の範囲として、チッソの4分の1が、450万円、650万円、850万円の三段階で加わるとの判決であるから、総体格差は、より増してしまうことになる。)

そればかりでなく、親の症状や曝露歴などと、これまで因果関係がはっきりしなかった胎児性水俣病などの潜在的水俣病への補償問題にまで、今後、拡大しかねない病像論の考え方の根本的変更(四肢末端優位感覚障害は末梢神経障害でなく、大脳皮質の損傷によるものであるとの病像論の変更)にまで、判決は言及しているのだから、及ぼすところは大きい。

いうなれば、今回の判決は、環境省は否定しているようだが、認定基準の見直しそのものにまで及ぶものであるからだ。

ただ、これだけドラスティックな病像論の解釈変更を唱えているにもかかわらず、認定申請が遅れた者に対し、除斥期間の満了(時効)による足キリを行っている点については、解せないところがある。

関西訴訟の原告たちは、関西という、ふるさと熊本を離れた地で、「水俣出身であることをあかしにくい」当時の水俣病についての暗黙の差別感がある中で、早期に認定申請が出来なかった社会的な背景を、どうして司法は斟酌できなかったのだろうか。


実のある司法救済とするためには


もっともやっかいなのは、国・県の賠償はともかく、チッソに対する賠償額については、司法判断はでても、チッソが、この賠償金を払える担保は何も無いということだ。

また、昭和53年6月の患者県債方式の開始に伴い「チッソ支援は国の施策として行い、患者県債の元利償還財源の確保が困難となった場合は、国が万全の措置を講じる」と決定した閣議了解事項、そして後述する平成12年度以降の新たな「抜本的チッソ支援策」の開始に伴う閣議了解事項の、いずれの範疇にも、司法判断にもとずくチッソの賠償金の支払いが入るものか、疑問である。

さらにいえば、汚染者負担原則(PPP原則)自体も、国・県が、その原因の一因に加担しているとなれば、汚染した企業(チッソ)のみが負担せねばならないという、これまでのPPP原則にもとずくスキーム自体も、考え直さなければならない事態となるのではないだろうか。

宮本憲一さんは、『水俣レクイエム』(岩波書店、1994年)でのべているように、 汚染者負担の原則の準適用を行い、チッソへの国の支援を位置づけるべしとの意見をもっておられる。

ましてや、今回の場合、国の国家賠償法上の責任が確定した場合は、準汚染者としての国の果たすべきPPP原則のあり方について、しっかりした原則作りを、この際、行っておく必要があるのではないか。

この場合、今回の判決で、被告チッソの4分の1を国・県の賠償責任の範囲としたことが、準汚染者負担の一つの目安となりえるだろう。

一昨年から昨年はじめにかけて、熊本県債方式からチッソ再生計画にもとずく2000億円をこえる公的債務について、チッソの自力返済の不可能な分について、国の一般会計からの補助金と地方財政措置で解消するというスキームには、今回の賠償金は想定されていない。

この際、閣議了解をやり直さないことには、判決は勝ち得ても、肝心の賠償金を払ってもらえる当てが無いのでは、まさに、政治判断の誤りを、関西訴訟の原告たちが、一身に負ってしまうことになるのではないのだろうか。


水俣問題は決して終わっていない。


今年の10月15日から、水俣市で、「第6回地球環境汚染物質としての水銀に関する国際会議」がひらかれるという。

世界への水俣病の教訓は、まだ過去のものとならず、いまも日々生成されつつあるのである。

5月1日で公式確認から45年目をむかえる水俣問題は、「これからもつづく」との自覚をもって、われわれも環境行政当事者も、緊張して、あたっていかなくてはならない。



参考資料 水俣病関西訴訟 判決後の新聞の論調


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