笹山登生の発言・寸感アラカルト


2001年4月6日 本当に「言論不況」なのか。

(掲示板から)

1996年4月創刊された東洋経済新報社の「論争」が、通巻31号を持って休刊されるという。

「小国主義」を掲げた東洋経済新報社の第5代主幹・石橋湛山先生の言論を彷彿とさせるような言説にひかれ、私も、幾度となく購入しただけに、やや、残念である。

その最後のテーマが「言論不況と言論人の覚悟」というのだから、皮肉なテーマのめぐりあわせである。

まじめな言論誌がなかなか育たないということと、日本の多くの言論機関が立場を明らかにせず、バランスをとることのみに腐心してきたことへの警告を込めての特集なのだという。

確かに、この雑誌の中で大阪大学の小野善康さんがいっているように、現代の売れっ子のオピニオンリーダーなるものは、実は、「みんなでわたれば怖くない」体制迎合型の「オピニオン・フォローワー」に過ぎないとの指摘にも、うなづけるものがある。

「外交フォーラム」(2001/4月号のキューバロケ未公開写真)という地味な雑誌が、なぜか突然品切れになった理由が、「仮面ライダー」に関する未公開写真が掲載してあるという情報が、インターネットを経由して知れ渡ったせいであったという。

デジタル媒体の伝播力によって、アナログ媒体がヒットしたという例だ。

そのこと自体、雑誌の販売環境がそれほど厳しいということを、しめしているのだろう。

私の長年の親友であるO出版局長の編集後記によれば、「返品が増える-配本部数をへらす-配本がへれば実売数も減る」という悪循環に悩まされた末の決断だという。

まことに同情を禁じえないのだが、しかし、「果たして言論不況なのか」といえば、私は、ちょっと違うのではないかとおもう。

本誌の内容は、30いくつかの論説からなり、それを2ヶ月に一回、出版している。

Web情報で流せば、一週間に一回の更新で済むボリュームである。

質的にはどうか。

オピニオンリーダーが一定の原稿料を対価にかきながしたものであり、その完成のために長期の懐妊期間を要するものではなさそうだ。

広告収入は4社を除いては、自社の本の広告があるだけである。

こう見てくると、どうやらこの雑誌は、もっともWeb情報と競合しうるアナログ媒体のようである。

たいして広告収入も無いのだから、もし、言論の効果を中心に考えるのであれば、「オープン・ソース」の言論Webとして流せばすむものである。

いや、むしろオピニオンリーダー自身が、原稿料を対価とせず、オープンソースで、直接Web上で言説を展開すればよい話である。

私のオピニオンでさえ、一つの意見展開に対し、2-3日で1,000以上のヒットがあるような時代である。

ましてや、オピニオンリーダーがメシの種を放棄し、オープンソースに徹すれば、その数十倍の反響がえられるはずである。

そんなことを考えると、確かに、「言論媒体の中抜き現象」による、アナログ媒体での言論不況はあるかも知れないが、Web上での言論は、より分散化され、よりリアルタイムで、展開されてきているのではないのだろうか。

そこには、アナログ媒体に無い、新しい公共圏の展開が生まれているとみる。

もちろん、言論の質は、玉石混交であろう。

しかし、インディーズ的な、新たな、デジタルなオピニオンリーダーは 輩出しつつあるのではないのだろうか。

要は、世のオピニオンリーダーたちが、メシの種を犠牲にして、「言論のオープン・ソース化」に踏み切れるかどうか、ここに新しい言論の場の創出がかかっているのではないのだろうか。



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